13.高齢者の介護と内観体験


介護老人保健施設 セージュ新ことに
角田 直樹



 私は今、セージュ新ことにに入職して「高齢者の介護」を通して、セージュ新ことにに入所している高齢者の皆様の、日々を楽しく、そして意味のあるものにすることを目標に介護を行っている。
私はセージュ新ことにに入職する以前は中央卸売市場にて青果物を扱い、セリと営業に日々駆け回る毎日を送っていた。営業する上では、人と接してコミュニケーションを図っていくという面で共通はしていたが、青果の出来具合や収穫量、物流システムにおけるコスト削減、生産者から消費者までの流通経路等常に対象としているものは青果物であった。又、営業面においては、いかに買い手を説得し、納得させるか、商談を成立させていく中で、自分らしさ、長所と短所を含めて自分自身の個性をいかに強く打ち出していくかということがいつも念頭にあった。
この様に私が以前にしていた仕事と今している福祉の仕事とは比較しようもないほど異なった仕事をしているが、この2つの仕事に対して共通の疑問を持っていた。

 それはコミュニケーションをとる上で、相手を知る、理解していく、ということである。
 もちろん、仕事のみを通じてではなく、日常生活においても私達は必ずなんらかの対人関係を持ち生活している。例えば、対人関係を築いている中で「脅威」、「不愉快」、「敵意」や「悔い」、「劣等感」を抱いている時は少ないのではないだろうか。これを引き起こしている原因は様々に考えれるのだろうが何と言っても、一番近くにいて、最もよくしられていない、「自分自身」ではないだろうか。
 セージュ新ことにに入職してすぐに受けた内観療法によって、自分自身を知る以前に、自分自身の存在を理解することができた。それは、今までの人生、ただ何となく生まれて学校に通い、卒業し、結婚をする。その結婚生活を支える為、しのぐ為の一つの手段として生きていく。「誰にも迷惑をかけずに生きる」をモットーに只漠然と27年間生きてきた。その人生観から、一日一日を一生懸命に生き、一日の目標を立て、有意義に生きることで翌日も再び有意義に過ごしていく。私がこれまで生きてきた27年間、誰にも迷惑かけなかったことは一度もないと思い込んでいた。私を育ててくれた両親、祖父母、先生、友人、先輩、挙げればきりがない。私自身を支えてくれた人達。内観法の目的、「自己理解」「自己解放」、「自己確立」によって、自分の醜さが表われこの自分の醜さを責めず、後悔せずに受け止めることによって、初めて自分自身に反省する事ができた。この責めずに反省する事で、現在の自分は何故ここにあるのかを認識する事が出来、将来に向けて自分には「何ができるのか」、「何をしていけば良いのか」といった方向性が明らかになった。それと同時に初めて、深く自分自身を知る、理解すると言うことが少なからず出来た。今までの自分自身を把握しようとせず、こうあるべきだと言うイメージが支配して仮面をかぶっていた自分と別れる事が出来た。
 
 自己理解、自己解放、自己確立といった内観法を学んだ事を、高齢者の介護というものに当てはめると、人の苦しみ、辛さ、悲しみ、不安と言った感情を理解する事ができ時折、私が悪気がない返事や冷たい言葉等「自分が本当に困っている時にもし言われたら・・・」と置き換えると同時に共感していく力を養える様になった。実際の関わりの中で、良く入所者の昔話を聞くことがある。父や母のこと、自分の子供たちの事を話す時の入所者の表情は優しげで、話を聞いている自分も不思議と心が落ち着いてくる。具体的には入所者からは、「・・・してもらった。」「・・・して返した。」という言葉は聞かれないが、自然と融和しながら自分の大切なものを守り、慈しんだことが理解できた。介護を通して、高齢者との心のふれあいを肌で感じ仕事をして行く上での大きな活力を与えられていると実感している。人間とは、高齢者の皆様とは、コミュニケーションを含め、より良い信頼関係を築いていく為には、自分自身の存在や自分自身の心の癖を含め、短所は反省し、長所は更に伸ばした上で知り、理解した自分をさらけ出さなければ、相手も悲しい顔、辛い顔、怒った顔、楽しい顔を決して見せてはくれず、常に仮面を被った顔しか見せてはくれない。高齢者の皆様との関わり合いの中から、「高齢者」の鏡を通じて自己への理解を養う事で、湧き上がる温かさ、優しさ、喜び、感謝を実感し、真の介護に努めていく事が出来る。





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