不登校児を持つ母として
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昨年秋に、3人兄妹の末っ子M子が不登校になりました。次の月に入院し、1週間の集中内観をしました。
M子の「おなかが痛い、学校休みたい」という言葉を聞いたとき、これは私が本気で取り組まなければ、と思いました。小学校時代から反抗的な面を見せるたびに、心配・迷い・不安を感じても、今までは何もできませんでした。でも、今回は偶然TVで太田病院の内観を知ったところだったので、「そこに行こう」と決めました。そのころは、特に父親に対しての不満を口にし、母親の私を求めていることが強く感じられました。それで、会話を多くしようと考えて、夜も二人同じ部屋で寝てみたりしました。《育て直しをしなきゃ》と夫には力んで答えていましたが、不安で一杯でした。
札幌太田病院での初診の際、太田院長の《機能不全の家庭である》の言葉に、「ああ、そうだったのか」と納得できました。「学校に行かないと聞いて、学校まで送って行こうとしましたか?」とも言われました。言葉では「心配している」と言いながら、実際には関わってませんでした。 私は「M子はここで治るんだ」と信じていましたが、今振り返ると、「M子をここで治してもらうんだ」と思っていたと思います。M子は集中内観を終え、その後の家族内観のときに明るい笑顔を見せてくれました。うれしく思いました。入院中に、3日間病院から朝早く起きてJRに乗り、中学校まで一緒に通学しました。先生からは通学の際に寄り道をしないようにとの注意がありました。それを忘れて寄り道をしたとき、教室に入ることができなくて、そのまま戻りました。この時は、あらためて治療の難しさを痛感しました。 私も2日間という短い時間でしたが、内観を体験しました。その際、M子のことについて考えたとき、「あの子は寂しかったんだ」と思いました。子どもはみな同じだと思い、本人が納得いかないことでも親の考えを押し付けていたのではないかと。心に満足を与えていただろうかと反省しました。でも、頭の中では理解しても、実生活の中でどう表現していくか、とても迷いながらこの4ヶ月を過ごしてきました。2人で布団に入っても、ついお説教になったりして、やっぱり親であることを押し付けてしまいます。子供との距離をどのようにとったらいいのかと思っていたときに、M子の持ってきたCDをかけました。井上陽水でした。2人で歌いながら、とても楽しい気分になりました。これでいいんだと思いました。それからは、《しりとり》や《でたらめダンス》《M子の好きなCDを聞く》などをして、就寝前は楽しい時間にしました。そうしたら「お母さん、M子の好きな食べ物知ってる?お母さんのつくるご飯だよ」と言ってくれるようになりました。その言葉を聞いて、私もようやく母親としての自信を取り戻せました。 これからは、楽しい子供時代だったと振り返られるような時間をたくさんプレゼントしたいと思っています。現在、娘は毎日元気に登校しています。 ※プライバシー保護の点より、抄録を1部変更しております。御了承下さい。 |